日本人不知道的是…中國人已經不再“大聲喧譁”和“插隊”了!_風聞
龙腾网-2021-03-08 17:30
【來源龍騰網】
正文原創翻譯:

ひと昔前まで「中國の人は聲が大きい」「行列に橫入りする」といったステレオタイプが強くあった。しかし、中國の若い世代に目を向けると、その行動様式は様変わりしているという。『中國人のお金の使い道』などの著書があるジャーナリストの中島恵氏によるレポート。
以前,中國人的刻板印象就是“聲音大”“喜歡插隊”。但是,把目光轉向中國的年輕一代,他們的行動方式已經完全不一樣了。此篇報道來自於中島惠(曾著書《中國人的花錢之道》)。
1月14日掲載の「中國の若い女性の間で『ガチャガチャ』が大ブーム…それが『異常事態』と言えるワケ」や、1月26日掲載の「中國の若者は『もう日本製より中國製がいい』、その消費意識に起きているヤバい変化」の記事で書いてきた通り、中國のZ世代の若者は、これまで多くの日本人が抱いてきた「中國人は~~だ」「中國では~~が當たり前」といった固定観念がもはや通用しなくなってきていることを、私たちに強く実感させている。
先回顧一下兩篇報道,1月14日報道的《在中國的年輕女性之間,吵吵嚷嚷已經成為一種風潮……説這是異常的原因》,1月16日報道的《中國的年輕人認為國產產品比日本產的要好,由這一消費意識引發的惡劣影響》,就如這兩篇報道中寫的一樣,我們深刻地感到,對於中國的95後年輕人,至今為止多數的日本人所抱有的那種“中國人就是~樣的”“在中國~不是當然的嘛”這樣的固定觀念已經不再通用了。
極端に言うと、従來、日本人が思い描いていた中國人像とは180度異なっている。また、中國人自身に話を聞いても、若者世代の振る舞いは、かつてあった「こういう場面ではこう行動するよね」という行動様式とは大きくかけ離れているのだ。
説的極端一點,現在的95後年輕人,和日本人想象中的中國人來了個180度大轉彎。還有,中國人自己也説,年輕一代的行為,和過去那種“這種時候就應該~做”的行為模式完全不一樣。
たとえば、この1~2年の間に、私が感じた彼らの行動だけでも、こんなことが起きている。列挙してみよう。
比如,最近一兩年,就我感受到的他們的行為,就有這樣的變化。我來列舉給你聽聽。
・割り勘をするようになった→以前は、誰か1人が全員におごっていた。
會AA制了→以前都是一個人請所有人的。
・店員に対して丁寧で、腰が低く、他人にも優しくなった→以前は店員に対して橫柄な態度を取る人が多いだけでなく、店員のほうもお客に対して、ケンカ腰だった。
對店員禮貌,沒有架子,對待他人也很友善→以前不僅對店員蠻橫無理的人多,店員對待客人也是一副氣勢洶洶要打架的樣子。
・行列にきちんと並び、並ばない人がいたら白い目で見たり、注意したりする→以前は列に並ばないどころか、10センチでも隙があれば、そこに橫入りすることが多かった。
排隊的時候會排的整齊,要是有不好好排隊的人的話就會給對方白眼,提醒對方注意。→以前不僅是排隊不整齊,哪怕只有10釐米的空隙,插隊的情況還是很多。
・聲が小さくて聞き取れないこともある→以前は鼓膜が破れるかと思うくらい大聲で話す人がいた。
聲音很小,有時候小到聽不見。→以前有的中國人説話,太大聲,感覺鼓膜都要破了。
・列車やぬいぐるみなどに「ありがとう」とお禮をいったり、話しかけたりするようになった→以前はモノを粗末に扱う人が多かった。
在列車上,或者遇見穿人偶服裝的人時,會説“謝謝”,會搭話了。→以前很多人對待物品很粗暴。
・自分が間違ったり、人にぶつかったりしたときには、すぐに謝る人が増えた→以前は間違いだとわかっても絶対に謝りを認めないという人も多かった。
自己錯了,被人指出的時候,馬上道歉的人增多了。→以前很多人即便知道自己錯了,還是死不承認。
まだまだある。
還有好多。
・健康のためにサプリや青汁を飲み、スポーツジムに通うようになった→以前は大盛りご飯と脂っこい料理を好み、公園で太極拳をしていた。
為了健康會吃保健品,喝青汁了,也會去健身房了。→以前中國人都喜歡大碗的飯,喜歡油油的菜,還在公園打太極拳。
・かわいいレターセットで手紙を書くようになった→スマホが発達する以前も、一部の人を除き、ふだんから手紙を書く人は多くなかった。
會用可愛的信紙寫信了。→以前即使是智能手機還沒普及的時候,平時寫信的人也不多。
・汚いトイレには、怖くて入れないし、できるだけ入りたくない→トイレは汚いものなので、自分も汚く使っていた。
對髒的廁所,會覺得太可怕了,不想進去。→因為廁所很髒,所以自己也很髒地使用。
・バラを一輪もらうことを素敵だと思うようになった→以前は豪華な花束をもらわないと、バカにされているような気分になった。
認為收到一枝玫瑰也很不錯→以前要是沒有收到那種豪華的花束,就感覺被輕視了。
・他人より目立ちたいという気持ちは今もあるが、常に自分を立ててほしい、といった類のメンツは、以前より気にしなくなった→以前は命の次にメンツを重視した。
雖然你現在也有標新立異的想法,但比起以前那種經常想着突出自己,好面子的行為,已經不太在意了。→以前面子是僅次於生命的存在。
同時多発的な変化
同時多發性的變化
さすがにそこまで変わってはいないだろう、と思う人もいるかもしれない。上記したような「新しいタイプの行動」を取っている若者と、「かつての中國人的振る舞い」をしている人は全然違う世代だ、という指摘もあるだろう。確かに、このような若者はまだ全體から見れば一部かもしれないが、私の感觸では、このように「まるで日本人のような行動」を取るZ世代の若者は確実に増えている。
也許有人會想,不會變化這麼大吧。也許有人會説,向上記那種新的行為模式的年輕人和過去中國人的行為完全不一樣。確實,像那樣的年輕人只佔了全體的一部分,但從我的感觸來説,“像日本人一樣行動”的95後年輕人確實是在增多。
それは都市部の若者だけに限らない。ネットやSNSの発達により、トレンドや流行は、都市部から農村部へ、沿海部から內陸部へというように、グラデーションを描いて一方向に段階的に進んでいくのではなく、各地で同時多発的に起こっている。もはや「(遅れている)內陸部の若者だから、まだサプリを飲む習慣はないだろう」といった地理上から見た分析、経済格差から見た分析ができないような狀況となっているのだ。
這不止侷限於城市的年輕人。隨着網絡和SNS的發達,這個趨勢不是由城市向農村,由沿海向內陸,有層次的有方向性的階段性的前進,而是在各地同時多發性的興起。不能簡單地從地理上,從經濟條件差異上分析成是因為“內陸落後的年輕人”,所以沒有吃保健藥品的習慣。
若者たちの行動やライフスタイルがここまで大きく変わってきたのは、これまでの記事でも書いてきた通り、ネットの発達により情報量が格段に増えたことが何よりも大きいと思う。同時に、社會も多様化し、以前に比べれば、さまざまな価値観が許容されるようになり、中國人として「こうであるべきだ」とか、「こうしなければ、恥ずかしくてメンツが立たない」といったことが少しずつなくなってきた。
年輕人的行為和生活方式之所以會發生這麼大的改變,最重要的是由於網絡的發達信息量的激增。同時,社會的多樣化,與以前相比,社會包容各種各樣的價值觀,對中國人來説,“應該這樣做”“不這樣做,就會感到失了面子”的事漸漸變少了。
中國には14億人もの人が住んでいるが、これまで、中國人としての「人生の勝ちパターン」は意外にも少なかったように思う。最も理想的な勝ちパターンは、北京大學、清華大學などに代表される一流大學を卒業し、有名企業に就職したり、會社経営をしたりして、結婚して子どもを持ち、不動産を買う――といったステレオタイプな生き方だ。
中國有着14億人口,然而,迄今為止,中國人的“成功人生準則”卻是意外的少。最理想的人生模式,是從以清華大學、北京大學為代表的一流大學畢業,去有名的企業裏工作,或者開公司,結婚生子,買房——這樣的刻板生活模式。
こんな固定化した理想像があり、それを実現すればメンツが立ち、周囲から羨望の目で見られるし、自分も親も鼻が高い。そのため、まずは人生最初の難関である「高考」(ガオカオ=中國の大學入試)で高得點を取り、難関大に入學することがスタート地點だった。
有這樣固定化的理想,實現了就有面子了,被周圍的人羨慕,自己也好父母也好臉上都有光。因此,首先要在人生的第一個難關——高考中拿到高分,進入名校,這才是起點。
中國では「生まれた瞬間から高考の戦いが始まっている」というジョークもあるくらいで、難関大の付屬小學校に入學する時點で、その小學校がある學區に引っ越す人が増加し、「學區房」と言われるその周辺地域の不動産が高騰するという社會現象が起きるほどだった。今でも、地方の村では、「高考」で高得點者が出ると、村中に響き渡る拡聲器で、名前を発表してもらえる。
在中國,有這樣一句玩笑話:“從出生那刻起就開始為高考而戰。”甚至到了升學季,搬遷至名校的附屬小學所在的學區的人家增加,導致學區房及周圍地區的房價上漲。就算是現在,一些地方的村子,在高考中取得高分的人,他的名字會在村裏面用喇叭一遍遍響亮的播放,讓村裏的人都知道。
しかし、やっとの思いで有名大學に入學しても、農村出身だとバカにされたり、一流企業への就職を勝ち取っても、なかなか結婚できなかったり、地方出身者であれば都市部で不動産を購入することが難しかったりと、自分の能力や努力だけでは、如何ともしがたいことが中國社會にはあまりにも多すぎることもわかってきた。
但是,就算終於如願考上了名校,因為是農村來的就被看不起,就算進入一流企業工作了,還是結不了婚,農村户口的話就很難在城市買房子,只靠自己的能力,做什麼都很難。這樣的事情,在中國社會里實在是太多了。
理想的な人生の勝ちパターンを実現できる人はほんのわずかしかいないのに、そのわずかしかない席を求めて、過剰な競爭が繰り広げられ、そのために他人を蹴落としたり、苦しみもがいたりする人が多かったのだ。
能夠實現那個理想的人生模式的人只有很小一部分,而為了求得那一個少之又少的位子,大家展開了過度的競爭,為了達成目的不惜踢掉別人,很多人為之受苦。
2012年頃に取材して印象深かったのは、農村出身の秀才で、親が借金して、周囲の期待を一身に受けて北京大學に進學したが、同級生が皆持っている攜帯電話を買うお金がなく、あまりにも恥ずかしくて、それに耐えられずに自殺したという話だった。中國では、このような悲劇はいくらでもあった。
2012年的時候,我去採訪,有一件事給我印象很深。有一個農村出身的高材生,家裏父母借了錢給他讀書,他帶着周圍人所有的期待去北京大學讀書了,但是周圍的同學都有手機,而他買不起,他感到非常恥辱,忍受不了了就自殺了。在中國,這樣的悲劇不止一起。
だが、ネットで日本や世界の情報にアクセスできるようになって、中國以外の國々でさまざまなことが起こっていることを知り、「ありのままの自分でもいいんだ」といったことがわかってきて、「等身大の肩ひじはらない生き方」を求めるようになってきたのだ。私が取材したなかでは、「國を代表するような科學者になるのではなく、小さなカフェを開くみたいなささやかな夢を持ってもいいんだ」と話した若者もいた。
但是,通過網絡,現在的年輕人能夠知道日本和世界的信息的,他們知道除了中國以外的各個國家發生的各種各樣的事,知道了現在的自己也很不錯,開始追求適合自己的生活方式了。在我採訪的中國人中,不僅有人想要成為代表國家的科學家,也有人想要開一家小小的咖啡店。
詰め込み教育が嫌われ始めた
開始摒棄所謂的“填鴨式教育”
古い価値観に縛られない柔軟な若者が増えてきたことによって、大人の考え方も変わり始め、わずかずつだが、社會全體でも地殻変動が起こっている。
由於靈活應變的年輕人增加,他們不被過時的價值觀所束縛,大人的想法也逐漸改變,雖然這種改變是一點點的,但放在社會整體那就足以引起巨大的變動。
前述の「高考」(大學入試)を突破するため、子どもたちが毎晩深夜まで勉強することは今も変わらない現実だが、中間層以上では、中國式の詰め込み教育を嫌い、子どもを自由な気風のインターナショナルスクールに進學させたり、幼い頃から留學させたりするなど、以前と比べれば、進學先は多様化している。その証拠に、都市部の「高考」の受験者數は少しずつ減少傾向にある。
前面講到,為了通過高考,孩子們每晚學習到深夜,這一點現在仍舊沒有改變,但是中間階層以上的人家,已經開始摒棄中式的填鴨式教育,讓自己的孩子進入風氣自由的國際學校就讀,讓他們從小就去留學,和以前相比,升學的方式正在多樣化。其證據就是,城市裏高考的考生有逐漸減少的傾向。
就職についても、以前は一流大學を卒業したからには一流企業に就職しなければ、というプレッシャーがすごかったが、今では一流企業に就職しなくても、SNS上にショップを開いたり、KOL(Key Opinion Leaderの略、インフルエンサーのこと)となって動畫で稼いだり、起業したりできるようになるなど選択肢が増え、それが一つの働き方、生き方として認められるようになってきた。
在就職方面,以前,要是畢業於名牌大學,而沒有進入一流企業工作,壓力就會非常大,現在,即使是不進入一流企業,選擇去開網店,當網紅髮視頻賺錢,創業等等,選擇多了,而這些都被社會認可,都是一份工作,一種活法。
ある程度の年齢になったら絶対に結婚するべきだ、という社會通念や価値観を押し付ける親に反論できず、以前は春節の帰省シーズンになると「レンタル彼女」と契約して、田舎の親や親戚一同を安心させるために戀人のフリをしてもらうことが流行ったが、今ではそんなことをしたら、SNSですぐにバレる時代になり、「レンタル彼女」という商売そのものが成り立たなくなってきた。
以前,父母説“到了一定年齡就應該結婚”,大家都這麼做,是社會通用的價值觀,而年輕人不能反駁,一到春節,回老家的時候,就開始流行租賃女友,為了讓老家的父母和親戚安心,假裝自己有戀人。而處在現在這個時代裏,做這種事的話,很快就在社交軟件上暴露了,所謂的租賃女友的買賣也不再行得通了。
結婚もしない、子どもも欲しくないと思う若者が増え続けていることを受け、大家族主義だった中國でも、レストランでは「おひとり様メニュー」が増えてきている。今はまだレストラン內に12人掛けの円卓があるが、そのうち無用の長物になるかもしれない。
越來越多的年輕人不想結婚,不想生孩子,中國以前是大家族主義,而現在越來越多的中國餐館推出“一人食菜單”。雖然現在餐館裏還有能坐12人的圓桌,也許有一天圓桌也會失去用武之地。
現に、若者たちの間では、外食の際、中國料理よりもイタリアンやエスニック料理、日本食を選ぶ人が増えているというデータもある。家族を持たない若者の間でペットが流行っているが、そのおかげで、ペットが同伴できるカフェやペットのためのお手伝いさんの需要も増えている。
現在,有數據顯示,年輕人中間,外食的時候會傾向於選擇意大利料理、民族料理、日本料理,而不是中國料理。沒有成家的年輕人中間流行養寵物,也因為這個原因,對各種寵物咖啡店和照料寵物的阿姨的需求量增加。
結婚して子どもができると、以前なら親が故郷から出てきて、率先して孫の世話をすることが「當たり前」だったし、子育てのやり方にいちいち幹渉するのは中國人の親の特権だったが、経済的に豊かになり、健康壽命が延びた今、親世代も、生まれて初めて「自分の後半生」を考えるようになった。その結果、親にとって、子どもは自分のメンツのために存在するのではない、ということも自然とわかってきた。
結婚之後有了孩子,以前的話父母會從老家過來,率先照顧孫子孫女是理所當然的事,干涉養育孩子的各個方面是父母的特權,但是,在經濟逐漸富足,人類壽命延長的今天,父母輩們,也第一次開始考慮起了自己的後半生。於是,父母們自然也明白了孩子不是因為要滿足自己的面子而存在的。
不動産の高騰や戸籍制度の問題により、大都市で不動産を購入することは非現実的になってきているが、最近では、それでも「不動産を買わなければ」と思って過重な住宅ローンを組む若者は急激に減ってきており、堅実な賃貸派が増えている。賃貸派が増えたことにより、政府も賃貸物件を増やすように政策を転換するまでになってきている。
由於房價高漲和户口制度的問題,在大城市買房已經變成一件不現實的事情,但是即便如此,最近認為自己必須買房,併為此背上重重的房貸的年輕人急劇減少,越來越多的人變成了堅定的租賃貸款派。由於租賃派的增加,政府也改變政策,增加租房數量。
このような社會の変化は、まだごく一部であり、主流になっているわけではない。主流はあくまでも古い中國的価値観のほうだ。人口のボリュームから見ても、中國で最も多いのは60後(1960年代生まれ、約2億3500萬人)や80後(1980年代生まれ、約2億2800萬人)であり、人口減少が加速した1995年以降に生まれたZ世代ではない。
這樣的社會變化,只不過是很小的一部分,並不是主流。主流到底還是以前那套價值觀。從人口大小來看,中國人口最多的是60後(約2億3500萬)和80後(約2億8000萬),95後人口加速減少。
だが、ここまで述べてきたように、これほどまでに価値観の異なる彼らが、上の世代や中國社會に與える影響は決して少なくない。むしろ、彼らが、これからの私たちの中國人のスタイルを大きく変えていくことは間違いない、と強く感じさせられている。
中島 恵(ジャーナリスト)
但是,説到這裏,這羣與傳統價值觀不一樣的95後年輕人們,無論是給上一輩還是中國社會,都帶來很大的影響。不如説,正是他們,讓我們對中國人的印象大大改觀了。
中島惠(新聞記者)